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10月24日 晴れのち曇り 日置郡郡山町より
2000年最終号
昨夜、九里さん・松本君・藤吉さんを見送り事務所に帰ってきた。
長かった遠征がひとまず来年の夏場まで終了する。
期間的には2〜2.5ヶ月で楽に終了できるはずだった。
しかし合計10個の台風の影響を受け、5ヶ月目になってもトカラ列島口之島まででそれ以上進めていない。
一番天候が安定するはずの7月初旬に3〜4号で10日ほどの足止めに始まり、20日頃からは3週間も漕げない日が続いた。
8月と9月は3〜4日しか漕げる日がなかった。
焦りと苛立ちで体調を崩しシーカヤックの上で吐きながら漕いだ日や、黒潮に流され救助を要請しようかと思った日もあった。
とうとう季節風が変わり、私一人の力では立ち向かえない向かい風が吹き出した。
3人乗りのシーカヤックと力強い仲間とともに挑戦したが、そのメンバーをもってしても全く通じない季節になっていた。
大きな外洋の船を使う以前の船乗りは、南風で北上し北風に乗り南下していた。
「黒潮」は沖縄本島では90kmほど西側を北上しトカラ列島を横切り、次に陸地に近づくのは都井岬や足摺岬になる。
古代人の方法をとる私たち「人力の旅人」にとって「黒潮」は大きな障害物であった。
今年はこれで航海は終了するがそれは中止ではなく延期である。
沖縄から鹿児島までの航海は全くあきらめていない、来年まで「いい風」を待つのだ。
それが「人力の旅人」の最良の方法だと信じているから。
最後に
今回私の行った航海にご協力いただきました沢山の方々に心よりお礼いたします。
一人一人の名前を書き上げていたら、いつまでも終わらないような大勢の方々に支えられました。
皆さんのご協力と応援がなければ、とっくに諦めていたかもしれません。
本当に有り難うございました。
この「シーカヤック日記」を毎日HPにUPしていただき、様々なバックアップをずっとしていただいたMBCのスタッフが居られたからこそこの日記が続けられました。
また私の航跡がわかる「黒潮GPS」を開発された九里さん藤吉さんそしてアルプスさん有り難うございました。
来年の7月には再開する予定です。
その際にも応援等よろしくお願いいたします。
200年10月24日pm6:00
「かごしまカヤックス」代表 野元 尚巳
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10月23日 晴 鹿児島
昨夜は帰ってきたそうそう宴会が始まった。
「黒潮GPS」の制作&サポートの九里さん藤吉さん。
「かごしまカヤックス」事務局の花田さん。
切通さんを始めとする取材陣の方々、友人たちと、締めの乾杯をしました。
今日は九里さん藤吉さん松本君たちと、錦江湾をシーカヤックで漕ぎ神瀬に行って来ました。
砂浜に上陸し弁当を食べビールを飲み「あ〜〜静かな海はいいな〜〜」「錦江湾はこんなに静かだけど口之島は荒れているんだろうな」と誰からともなく話す。
昨日のフェリー「としま」は波が船の一番高い所まで跳ね上がっていた。
やはり湾内は静かだ。
4人で遊びながらシーカヤックを漕ぎ、時には競争になり磯を目指す。
空港に九里さん藤吉さんを見送りに行く。
気持ちのいい頼れる仲間だ。
これからも彼らと色々な事をやるだろう。
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10月22日 晴 口之島
今期の遠征終了を決めたとたんに体に力が入らなくなってきた。
いくら寝ても疲れている。
今までの緊張で蓄積疲労があるんだと思う。
港に荷物を運びだらだらと過ごす。
海上は波は無いが風が非常に強い。
「としま」に乗り込む。
イセリ岬を回ると海上一面に白波が立っていた。
船が揺れ出す。
台風が発生したようだ。
今年は本当に台風に翻弄された年だ。
今夜は鹿児島で九里さん・松本君そして支援してくれた仲間と飲もう。
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口之島に帰ってきた。
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10月21日 晴 口之島
昨夜の天気予報で21日は良くなりそうだ。
「よし行くぞ」と出発準備に入る。
早朝3人で出発する。
しかし予想した以上に波が高く7・5mのカヤックが立ち上がるほど波が高い。
沖合を走る漁船も激しく揺れている。
しばらく漕ぐがらちがあかない。
まだ1kmほどしか漕いでないが引き返すことにする。
口之島港に上陸する。
8月末の鹿児島市ゴールを目指して頑張っていた。
しかし合計で10個の台風の影響を受け停滞が続きなかなか進めなかった。
8月は3回9月も4回ほどしか漕げず、北からの季節風が吹く季節になってしまった。
10月に1人で一回、そして今回3人で挑戦したが、北からの風と高い波に阻まれて進めなかった。
体もかなり疲れきっている。
これ以上今年挑戦するのは気象条件そして私の体力・精神力を考えて無理だと判断しました。
非常に残念ですが今年の挑戦は中止します。
後は来年の夏に季節が安定し南風の吹く頃に漕ごうと思います。
時間はかかりますが最後まではやり抜きます。
明日の「としま」で鹿児島に帰ります。
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