雲の上にあるベニヤでできたレストラン。
自転車を漕いでいると上り坂は苦しく嫌なものだ。だがそんな坂道を好んで上りたがる奴もいる。私もそんな一人だ。
1990年の正月。台湾の太魯閣渓谷から大禹嶺(標高2565m)を経て、さらに武嶺(標高 3260m)へと向かっていた。
数時間前までは雄大な景観を見せていた太魯閣渓谷は、とっくに雲海の中に消えていた。目の前には曲がりくねったワイディングロードが真っ青な空に向かって延びていく。
正月とはいえ熱帯にある台湾の低地では汗がだらだらと流れる。だが標高が上がるにつれて気温は下がってくる。そして空気も薄くなり、だんだんと呼吸が苦しくなってきた。
昨夜は台北大学の学生と屋台で飲み騒いでいたので、多少酒も残っていた。今日の行程の苦しさは解っていたのだが、ついつい飲みすぎてしまった。まあ旅の情けだ。
酒が抜けると今度は空腹が襲ってきた。自転車は空腹になるとまったく漕げなくなる。ハンガーノックと言うやつだ。
携帯した食料を食べようと適当な場所を探す。尾根を回り込むと、谷筋に小さな掘っ立て小屋が建っていた。なんだか怪しいぞ!近づくとベニヤで作られた壁に色取り取りのペンキでなにやら書かれている。どうやら食堂のようだ。
これは天の助け。早速、自転車を降り小屋に入る。中には数名の客がいて、なにやらワシワシと食べている。厨房と言っても屋台のほうがまだましだが、一人の男が中華なべを振っていた。ぎしぎしとゆれる椅子に腰掛けて注文をしようと思ったが私は中国語がまったく話せない。メニューがあれば最後の漢字を見て、湯とか麺、飯と書いてあればだいたい判る。だがここには紙に書かれたメニューはない。
男は相変わらず忙しそうに鍋を振っていた。しばらくすると小屋の裏から婆ちゃんがコップに水を入れてやってきた。そうだ婆ちゃんに頼もう。
婆ちゃんを表に連れ出し、壁に書かれていたメニュー?を指差して「これと、これを食べたい」と頼んだ。婆ちゃんはにっこりと微笑んで日本語で「おいしいよ」と言い、厨房の男へ注文をしてくれた。戦前の日本語教育がこんな山奥まで、そして今でも影響を与えていたのだ。
コップに注がれた水は裏山の湧き水だろうか、少し草が浮いていた。私はほんの少し躊躇したが一気に飲み干した。とても旨い水だった。
頼んだ料理が出てきた。肉の入った麺と焼き飯だ。「いっただっきま〜す」私の声が谷に響く。婆ちゃんが微笑んでいた。見晴らしが最高に素晴らしい雲の上のレストランだ。この飯のパワーで数時間後、高山病でふらふらしながらも山頂の小屋までたどり着くことが出来た。

ひたすら登り続ける。

雲の下から登ってきた。

ベニヤでできたレストラン。とても旨かった。

このルートの最高点、嶺武峠(3275m)台湾の人たちと記念撮影。

霧社の町を抜ける。

水里の町で見かけた屋台。