90年に台湾を自転車で旅をしていたときに泊まった宿の事だ。
台北市内にあるYH(ユースホステル)に宿をとった。ドミトリー(相部屋)でもいいのだがこのYHの受付と雰囲気が「なんかやばいぞ」と感じたので個室にする事にした。
鍵を渡されたのだがどう見ても南京錠の鍵に見える。薄暗い階段を登り、指定された階に上がると闇から真っ白の目玉が見えた。
どきっ!としてよく見ると肌の色の黒い叔母さんが笑っていた。どうやら洗面所で洗濯をしていたようだ。奥からは子供の声が響く。そして部屋の前に来て愕然とした。その部屋は厚めのベニヤで囲まれた個室?だった。
工事現場でコンクリートの養生などに使われるコンパネのような一枚板で作られたドアにかけられた南京錠を外し中に入る。薄汚れたシーツが掛けられた小さなベッドが一つと埃をかぶったこれまた小さなテーブルと椅子。そして部屋の隅には壊れた扇風機とこれまたバラバラに壊れたゴキブリの残骸が置いてある。
ふぅ!とため息が出た。部屋にいると気が滅入るので台北の繁華街に出て行った。
数時間後、部屋に戻り自分の寝袋を広げて眠り現実から逃げ出す事にした。
突然男女の声がして目がさめる。隣の部屋に入ったようだ。その後、しばらく喋っていたようだが薄いベニヤ越しにあるベッドの上でSEXをはじめだした。
なにしろベニヤ一枚があるだけで天井のほうは開けっぴろげだ。声どころか私のベッドまで揺れる。街に出てゆくには時間が遅すぎて治安の問題がある。しかたなく悶々とその状況に耐えた。翌朝は辛い目覚めだった。
翌日は列車で台湾東部の新化に移動して自転車を組み立て漕ぎ出した。太魯閣渓谷を過ぎて小さな観光地、天祥(テンシャン)にある青年活動中心に泊まった。
青年活動中心とは日本のYHと国民宿舎を足したような宿舎だ。家族向けの個室と安いドミトリー(相部屋)などがありとても安い。他に青年活動と呼ばれる相部屋だけで食事の供給もない、山小屋のような宿もある。
当時はドミトリーで、宿代が750円ほど、朝夕の食事が550円程度だった。個室も2000円程度だ。私はもちろんドミトリーに泊まる。部屋に入ると10人用の部屋だ。時間が早いので誰もいない。
殺風景な部屋に一人いても仕方がない。とりあえず外に出てみた。観光地なので縁日のような出店が並び、いかにも中国風の廟朗が立ち並んでいた。品質で定評のある台湾ビールを飲みながらぶらぶら歩く。
夕食の時間になったので大食堂に行ってみた。20年ぐらい前の温泉街の巨大ホテルのように煩雑だった。
指定番号の席につく。目の前には数箇所凹んだお皿に様々な料理が盛られていた。当たり前だが中華料理だ。なぜか判らないが一つだけ発泡スチロールで出来たお椀がある。これらはセルフサービスだ。一つの椀なのでご飯を注ぎ食べ終わってから今度は汁物を注いで交互に食べた。なんか変な感じだ。
食事をしていたら突然大音響で音楽が流れ出す。すると食事をしていた男がステージに上がりマイク片手に歌いだした。なんとカラオケだったのだ。そう言えば台北の街中でも“カラオケ”とか“KARAOKE”と書かれていた看板をあちこちで目にした。カラオケがアジアに進出しだした頃で小さな街でも見かけた。
ステージの男は大食堂にいる皆に「こらあ!俺の歌を聞かんかいコラア!」といった感じで歌っていたのだ。もちろん場や空気を読むなんてまったく考えていない。
「うわぁまいったなぁ」と思っていたのだが歌いだした曲はなんと鹿児島出身の長渕剛の乾杯だった。もちろん中国語バージョンだ。そう今年の夏7万人ライブを桜島でおこなったNAGABUTIだ。
私は彼のファンではないのだが異国で同じ国籍、しかも同郷の歌が聞けるとは不思議な感じだが嬉しかった。と同時に、なんか中国語バージョンの乾杯が普通に聞こえてきた。やはりいい曲はどの国の言葉でもいいんだな。
部屋にかえると同泊者がいた。台湾大学(日本の東大レベル)のグループと経済関係の教授。なぜかインテリばかりだ。教授は日本語も喋れるし大学生も親日派で片言の英語で会話が出来る。
大学生の仲間が屋台からつまみになりそうな焼き鳥風のものや蒸物、そして強い蒸留酒を買ってきた。進められるままに飲んで食ってまた飲む。大いに盛り上がる。
年齢も国籍も何もかも超えて楽しんだ。前日とうってかわりとても台湾が好きになった。

あてもなく台北の町をうろつく。

このゴチャゴチャがいいね。
台北市

私が泊まったベニヤの個室。

列車で新城に向かう。当時はまだあちこちに兵隊の姿があった。

いよいよ太魯閣の入り口だ。

天祥青年活動中心で同室の台北大学の学生と。