段ボールハウス
25年も前の話だ。自分の力を試そう、鍛えようと真冬の北海道に渡り自転車で旅をしていた。誰も自分のことを知らない世界で一文無しになり、そこから生きてゆこうと思ったのだ。
なんとか住み込みの仕事も見つけて働き、次の旅の資金もできた。更に季節は進み、雪も融けてきたので今度は北海道1周の旅をはじめたのだ。
だが貧乏旅行には変わりがない。3〜4日に一度はYH(ユースホステル)に泊まり、洗濯、入浴、食い放題の食事(これがもっとも重要)、そして旅の情報収集を行う。もちろん女性と話ができるチャンスなのでモーションをかけるが、こちらはさっぱりだった。
それ以外の日は野宿だ。テントを張るときもあるが、夜露で濡れると畳むのが面倒だし、なにより重たくなる。だから駅やバス停に泊まっていた。時には公園の東屋にも泊まる。ちなみに駅泊はステーションホテルもしくはステービー(ステーションビバーグ)バス停泊はバスストップホテルと言っていた。
見知らぬ駅で方言の混じる会話を聞くのも旅の醍醐味だ。駅独特の雑踏が、一人旅の身には暖かいような、寂しいような気持ちになる。
食事だが、朝はキャベツに塩をかけただけとか、食パンにミカンを挟んだみかんパンだ。夜はラーメンライスの大盛り。ともかく腹が膨れればいいのだ。少しだけがんばった日には、駅近くの食堂で定食を食べる。運がよければ親父たちにおごってもらえる事もある。
浜頓別YHで食パン21枚を食べた。だいたい3斤。つまり食パン1本だ。さすがに苦しくて動けなかったが吐くのがいやで我慢して消化した。若さゆえの勢いだ。
そんな旅を続けていたある夜だった。ひどく冷え込んできたのにまだ適当な宿が決まらず自転車を漕いでいた。小さな峠を越えているときにドア付きのバス停があった。覗いてみると快適そうだ。ここに泊まることにする。
だが中に入ってみたものの隙間風が冷たい。近くの電気屋で捨てるのだろうと思われる段ボールが置いてあるのを思い出した。早速拾いに行きバス停に持ち込み囲いを作る。なかなか快適だ。翌朝はあまりに快適すぎて寝坊してしまった。
バス停などを使うときは始発前に撤収するのがエチケットなのに、すっかり寝坊してしまったのだ。バス停前には私の段ボールハウスのために中に入れなかった数名の通勤者と学生がバスを待っていた。
撤収中にバスがやってきた。運転手は私を見て笑っていた。いい時代だったのだ。

地平線を目指しサロベツ原野をひた走る。

利尻島をバックに出会った自転車仲間と記念撮影。
礼文島

日本最北の地宗谷岬。

知床は霧に包まれていた。この橋の向こう側は行き止まりで、ここより先に道はない。

開陽台にて地平線を見た。

数キロ崎はソ連(現ロシア)の貝殻島だ。