BAIDARKA1999

チーム名   BAIDARKA(バイダルカ)1999
コース     USA.アラスカ州ジュノー〜カナダ・バンクーバー
遠征方法   シーカヤックにキャンプ用具一式を積み込み、野営をくり返しながら一日約40kmから85kmほどを航行した。
期間      1999年6月5日〜7月25日まで51日間
走行距離   約1.600km
使用艇    二人艇 ウォーターフィールドカヤックス社「グレートジャーニー」
        (FRP製 全長750cm全幅72cm 3人乗り・3分割タイプ) 
         一人艇 ネッキー社「ルクシャV」
        (FRP製 全長594cm全幅53cm)

日程
  出発               到着               距離(約)
6月 5日ジュノー         9日ピーターズバーグ     260km
   11日ピーターズバーグ  12日ランゲル             80km
   14日ランゲル        16日ケチカン            160km
   22日ケチカン        25日プリンスルバート(カナダ)170km
   30日プリンスルバート    6日シェアウォーター      330km
7月 8日シェアウォーター   11日ポートハーディー      190km
   13日ポートハーディー   15日キャンベルリバー      210km
   20日キャンベルリバー   21日テキサダI            80km
   23日テキサダI        26日バンクーバー        130km
                                 全行程1.600km
チーム構成
リーダー 野元 尚巳(のもと なおみ)   1958年 2月26日生
     自転車選手(ロード.ピスト.MTB)として国体、九州地域、全日本などに出場の外、トライアスロン(第一回徳之島大会優勝)等、耐久レース等で現在も活躍中。
     81年オーストラリア自転車旅行。90年台湾自転車旅行。98年ベーリング海シーカヤックツーリング。99年アコンカグア登山(5.400m到達)など。
     現在、鹿児島にてシーカヤックツアー”かごしまカヤックス”主催

クルー  松本 正樹(まつもと まさき)  1967年 5月25日生
     96年故郷の広島でシーカヤックと出会い、瀬戸内海や九州を中心にシーカヤッキングを楽しむ。
     98年は数々のシーカヤックマラソンにて上位入賞。
     現在ウォーターフィールド社にて制作を担当。今回の使用艇の制作者の一人。

クルー  上運天 立(かみうんてん りゅう)1970年 6月30日生
     1996年オーストラリア98年ニュージーランドを自転車で一周。
     沖縄のテラワークスにてシーカヤックガイドを行う。

 
ジュノーの博物館で見たバイダルカ


 5月初旬
 4人のメンバーにて2艇のカヤックに分乗し、航行を行う予定で日本から2人乗りのカヤックを2艇シアトルに搬入していた。
 しかし直前になってやめると言い出した者がいて、急きょシアトルで一人艇を購入することになる。
 今回の遠征で使うカヤックはウォーターフィールド社製のグレートジャーニーだ(FRP製、ラダーはチタン製)。
 もともと3人乗りだが、かなりの量になる装備を収納するため、センターハッチのシートを外し荷室にしてある。
 さらに3分割式にし輸送費を少しでも抑える為の工作を、制作者であり提供者の水野さんにお願いする。


メンバー、上運天、野元、松本

 5月28日
 シアトルとバンクーバーで情報の収集や装備の購入を終え、ベリンハムよりフェリーでジュノーに向かう。
 フェリーは今回の遠征のコースを逆向きに北上するので、交代で上陸地点や食料等を補給する予定の町も確認、又、海図等のチェックを行いながら船旅を楽しむ。
 フェリーから時々白頭鷲や熊が見えアラスカに来たことを実感する。
 南国育ちのメンバーの中には、雪がかぶる山々やフィヨルドの海、そして時々見える熊を見る内に心細くなった者もいたようだ。
 世界でも有数のレインフォーレスト、北上するにつれ雨模様になる。
 どんよりとした天候では気分もめいるよな。


大量の装備をカヤックに積み込む

 5月31日
 早朝、やっとアラスカ州の州都ジュノーの港に着く。
 ジュノーのダウンタウンまで、約22km。
 カヤックと荷物を運んでくれる車を探すが、見つからない。
 そのうち誰もいなくなった。
 結局、漕いで行くことにする。
 アザラシが泳ぎ、氷河が見える海を漕ぎ出す。
 ジュノーの港で、荷物の運搬中に、私のパスポートやトラベラーズチェック、カード等全財産を盗まれる。
 翌日、警察に行くと、幸いなことに現金以外はすべて届けられていた。
 「あなたは非常にラッキーだ、ここはアメリカですよ。」
 もっと気を引き締めねば。


カヤックをトロッコに載せて次の入り江へ向か

 6月5日
 ジュノーのユースで知り合った日本人、YUTA.SAKI.KYOUKO.に見送られ、いよいよ1.600kmの遠征がスタートする。
 グレートジャーニーに主要な荷物を載せ 、一人艇のルクシャにまずは松本くんが乗り込み出発。
 アラスカで、一番グリズリー密度の高い、アドミナル島の入り江に入り込み上陸する。
 ここから反対側の入り江まで、トロッコでカヤックを運ぶ。
 このトロッコは自由に使って良い。入り江から入り江をつないであるので、人の手で運べるサイズの船には大変便利だ。
 しかし上陸した入り江の方にトロッコが置いてあるとは限らない。
 案の定、トロッコは見当たらず、反対側に取りに行く。
 結局、1往復半、クマの糞の残るトレールを押し歩いた。
 アラスカにはこのようなトロッコ(カヤックトレイル?)が所々作ってある。


親子熊を見る

 鏡のような入り江を漕ぎ進む。
 この日は入り江の中程にある小島に上陸。
 ここならクマもさすがに来まい。
 ハクトウワシを見ながら一夜を過ごす。
 アドミナル島の岸沿いを漕ぎ進むと、グリズリーの親子がいた。
 さすがにでかい。
 我々の気配を感じ、とつぜん立ち上がり吠える。そして子グマと森の中へ消えていった。
 その夜のキャンプ地で、古いクマの糞を見つける。
 寝付かれない一夜を過ごす。


シーライオンのコロニー

 鏡の様な水面を進んでいると、うなり声がしてきた。
 シーライオン(セイウチ)だ。
 はじめは10数頭が海に入り吠えていたが、我々が近づいて離れないので、ボスと思われる一番大きなシーライオンが飛び込んできた。
 すると他のシーライオンも飛び込んできたので、早々に立ち去る。
 10数キロ先までそのうなり声は聞こえていた。

 初めてクジラを見る。
 かなり遠いが、その大きさと存在感には、やはり感動する。
 ときどき背びれの白いイルカも顔を見せる。

 6月9日
 最初の寄港地ピーターズバーグに着く。
 ホテルにチェックイン、久しぶりにシャワーを浴び近くのレストランへ。
 ステーキとビールを目一杯流し込む。
 愛想のいい、かわいいウエートレスだったので、つい多めのチップを渡してしまった。
 翌日もそのレストランに出かける。しかし注文とチップは少し控えめになる。


キャンプ地を探して夜中まで漕ぎ進む

 インサイドパッセージは干満の差が激しいので有名だ。
 所によっては、その差は10mほどになり、その干満が激しい潮流となる。
 潮流の激しいランゲルナローを上げ潮に乗って漕ぎ進む。
 潮の変わり目では釣りなどをしながら時間をつぶし、下げ潮をまって漕ぎ出す。
 ここらの森は、まず岩山があり、その上にものすごい密度で木が生い茂っている。
 木はタイドライン(満潮時の海水線)ぎりぎりまで茂っているのでキャンプが張れるところが非常に少ない。
 キャンプを張れるところが少ないので 、一日あたりの航行距離はいやでも延びてしまう。
 この日、50kmほど進んだディアー島で、キャンプをしようと上陸したらグリズリーの親子に出会ってしまった。
 いつもどおり私が先に上陸すると10mほど先の草むらを、子グマが逃げていった。
 親グマもちらっと見えたが、クマとの距離が離れたので、さっさとカヤックに乗り込み岸を離れる。
 グリズリーの親子だ。
 シアトルでは「いいかい、子づれのクマに出会ったら運が悪いと思ってあきらめな。」と言われた。
 危ないところだった。
 15kmほど進んだ所で小島に近づくが、ここもシーライオンのコロニーで、追い返される。
 日も沈み、真っ暗になってきたので、ヘッドランプでコンパスと地図を確認しながら進みユニオンポイントを目指す。
 カヤックの上からフォーカスランプで海岸を照らすが、森の奥まで光は届かない。
 近くにクマがいないことを願いながら上陸する。
 クマに人間の存在をしらせるため、大声を出しながらテントの設営を行う。
 テントを設営しながら地面を照らすと、小動物の骨が散らばっていた。


夕焼けの中を漕ぐ

 カマノポイントで、崩れかけた小屋の中にテントを張る。
 カヤックは砂浜の一番奥の巨大な流木の上に乗せ、水と食料をハッチの中に入れていた。
 その夜、いやな胸騒ぎで目が覚めた。
 海に出て見ると、荒れた海にカヤックが逆さまになって浮いていた。
 海に飛び込み、カヤックや用具を森のなかに回収する。
 時計を見るとam3:00、満潮がam3:20だから、もう少し気づくのが遅れたら危ないところだった。


クリッンギット族のトライバルハウス

 翌日、ケチカンへ向かう。
 強い向かい風と波で、なかなか進まない。
 波が高く、まともに胸に波を受ける。
 パドルを休めることが出来ないので、対岸までの約3時間、水も飲む暇もなかった。
 クリークの上に作られた家並みと、クルーズ船の観光地ケチカンで、ゆっくりと休養する。
 ケチカンでストームをやり過ごし、カナダとの国境をめざし南下する。
 上運天くんが肘の不調を訴えてきた。
 数年前、交通事故で痛めた所がかなり痛いらしい。
 本人はずっと我慢してきたようだが、もう限界だとのこと。
 ケチカンに帰ろうかと迷うが、進んだ方が良いと判断し、上運天くんに二人艇の前に乗ってもらい、松本くんと私で彼をカバーしながらプリンスルバートを目指す。
 カヤックによる国境越えを行いカナダへ。
 入国手続きなどしていない訳だから、この時点で我々は不法入国者だ。(難民との声も)
 プリンスルバートで入国をすませ、バーに行き入国の乾杯をする。
 上運天くんに3人で続けないかと、もう一度確認するが、ここでやめるとの返事だっだ。
 その夜3人で飲みに行き、今度は沖縄で漕ごうと約束する。
 一人艇をバンクーバーに送り、二人になるので用具の見直しを行う。


カヤックで国境を越えてカナダへ入国。この時点では不法入国

 上運天くんに見送られ出発。
 雨の向かい風。一人いなくなった重苦しさか、ほとんど口をきかなかった。
 グランネルナローは長さ80km、一番狭い所は400mほどの細長い水路だ。
 非常に潮流が早い、最初は流れに乗っていたのだが、中央部から逆の流れになった。
 上陸して休めるような所がないのでエディ(反流)を捕まえながら、岸に沿って這うように進む。
 海は、まるで川の瀬の用に波が立っていた。

 プリンスロイヤルチャンネルでキャンプ地を探していたら木材会社があった。
 この会社は社屋や社宅など、すべての施設がフロートのうえに建っている海上の会社だ。
 社員は35名ほどいて3週間のローテーションで交代しているとのことだった。
 我々は使っていないフロートの上にテントを張らせてもらう。
 フロートからルアーを垂らすと底者の魚(ロックフィッシュ)が入れ食いだった。


木材会社の筏でキャンプ

 長いプリンスロイヤルチャンネルを、もう少しで抜けるところで、もの凄い反流にあった。
 とても漕げたものではない。
 周りは崖になっていて上陸は出来ないが、良い具合に倒木があった。
それにバウラインを結び潮の変わり目を待つ。

 シェアウォーターで久しぶりにシャワーを浴びる。
 体中が虫にさされ(ちいさなアブのようなもの、猛烈にかゆい)所々掻きすぎで血がにじんでいる。
 シェアウォーターを出発した日、クルーズ船”にっぽん丸”に会う。
 「お〜い日本人で〜す。」とおもわず叫んでいた。
 クィーンシャーロット湾を漕いでいるとき、黒いおおきな棒のようなものが4本こちらへ向かってきた。
 シャチだ。
 背びれだけで2mはある。
 たしかシャチはカヤックは襲わないはずだが、やはり少し怖かった。(あとから人を襲うこともあると聞く、無知とは幸せな時もある)
 最大の難所と思われたケープコーションを難なく越える。
 我々のカヤックの50mほど横を、クジラがずっと泳いでいった。
 霧でほとんど視界がきかないクィーンシャーロットチャンネルを、コンパスとGPSを使い航行する。

 7月11日
 バンクーバーアイランドの北にある、ポートハーディーに入港する。
 ここではカヤックも一般の船と同じように停泊料を取られる。
 そう、我々のカヤックもクルーザーなのだ。
 ホテルに入りレストランで喰いまくる。
 アラートベイまで追い風に乗って、楽に行けると思ったが、あまりに風が強く、追い波に翻弄される。


ジョンストンストリートでサンセットカヤック

 アラートベイはトーテムポールの島だった。
 世界最大のトーテムポールや墓標のトーテムポールもある。

 シャチの保護区になっているロブソンバイトの近くに、キャンプを張る。
 ここは映画”ガイアシンフォニー”の舞台になった所だ。
 世界中からカヤッカーが集まる。
 ここにも面白い日本人カヤッカーがいた。
 神奈川県の松本茂高くんだ。
 彼はアラスカ.カナダに魅せられて6年も来ているとの事だった。
 ラーメンをすする我々の目の前を、シャチが泳いでいった。


オルカが近くを通り過ぎる

 松本くんと別れ、ジョンソンストリートを漕ぎ進みバンクーバーを目指す。
 ここも潮流がはやく、カヤックが進めなくなるときや、時速15kmを越える速度が出ているときもあった。

 テキサダ島で風のため、足止めをくらう。

 7月25日
 カナダでガイドをやっている野口さんに迎えられて、バンクーバーのグランビルアイランドに上陸する。
 ジュノーを出発してから51日目。
 約1.600kmの航行距離だった。


ついにバンクーバーへ

あとがき
 1998年6月にベーリング海をシーカヤックで旅を行い、その帰りインサイドパッセージの地図を入
 手し今回の旅を計画しました。
 それから一年、無事に成功する事が出来ました。
 それはウォーターフィールドの水野さんを初め、たくさんの方々のご協力があったからこそ成功する事が
 出来たと思っています。
 最後まで一緒に漕ぐことが出来た松本くん、彼は間違いなく実力のあるインサイドパッセンジャーです。
 残念ながら肘の故障のためプリンスルバートで遠征を終えた上運天くん、彼も700kmアラスカの海を
 漕ぐことが出来た仲間です、これからも、又、色々な旅を経験するでしょう。
 私も今回の遠征を達成したことで色々な自信と、又、自分の能力の不足を感じています。
 今回の遠征を教訓に、これからも新しい事に挑戦し続け少しづつでも前に進んで行きたいと思います。
 ご協力いただいた皆様、本当に有り難うございました。

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