The BLACK CURRENT 2000〜2001
Okinawa to Kagoshima Sea Kayaking Journey
Paddler NOMOTO NAOMI

沖縄→鹿児島・単独シーカヤック遠征
2000.6.17〜10.24・2001.8.4〜9.19
終了報告書
2001年10月

始めに
昨年より行っていました沖縄から鹿児島までのシーカヤック単独遠征「The BLACK CURRENT2000〜2001」が、2001年9月19日、鹿児島市磯海岸へのゴールをもって終了いたしました。
最初の予定では2000年8月末には終了予定でした。しかし昨年・今年と南西諸島に影響を与えた台風の多さと速度の遅さで、コース上の海上はいつも時化(しけ)の状態でした。
その中のわずかなチャンスを漕ぎ進めたのですが、昨年秋、ついに季節風が完全に変わり「青北風」(あおぎた)/北からの風に変わりました。
黒潮の影響下で更に向かい風、いかに頑張ろうが所詮人力で海峡横断を行える状態にはありませんでした。
次の「新南風」(にいばえ)/南風の吹く季節の2001年夏を待ち、8月4日に再出発。
9月19日にゴールである鹿児島市磯海岸に上陸することができました。
今回の遠征の大きな展開として、モバイルでのリアルな航海日記をホームページで公開(MBCが担当)。冒険者マップシステム「黒潮GPS」(発案・プロデュースは九里徳秦氏・藤吉俊道氏。システム運用は2000年アルプス社・2001年長野高専・堀内研究室)の実践でした。
「黒潮GPS」は冒険家(行動者)がどこに居るかを数十分ごとにホームページ上に提供する画期的なシステムです。
これが実用されれば冒険のみならず、各方面での安全対策上でも大きな効果をもたらす事と思います。
概要
鹿児島県は南北約620km。その海は流氷を除いて珊瑚礁の海・断崖や砂浜の海岸、そして錦江湾などの内湾など、およそ日本のほとんどの海岸模様が存在すると言われている。
その間に奄美大島をはじめとして数十の島が点在する。
年により変化するが、奄美大島からトカラ列島にかけて、黒潮が横切る。その流れは時として5ノットを越える時もある。
夏場になると水温は30℃近くにもなり、海洋生物をはじめ、南方よりの文化、数々の漂着物など、さまざまな恩恵に預かる。
例年、梅雨明けとともに季節風が収まり、しばらく天候も安定するが、台風が接近するのもこの時期である。
行程
 日時      行程         距離      累計
2000年
6月17日 宜野湾〜瀬良垣    38k       38k
  18日 瀬良垣〜今帰仁    40k       78k
  19日 今帰仁〜奥間      22k      100k
  20日 奥間〜宜名真      20k      120k
   23日 宜名真〜与論島    32k      152k
   25日 与論〜沖永良部    40k      192k
  28日 沖永良部・知名     16k      208k
   29日 沖永良部〜徳之島  40k      248k
   30日 徳之島・平土野     15k      263k
7月 8日 徳之島〜与路島    45k      308k
    9日 与路島〜諸鈍      15k      323k
   13日 諸鈍〜与路島      24k      347k
  14日 与路島〜江仁屋離   20k      367k
  15日 江仁屋離近辺      15k      382k
   16日 江仁屋離〜嘉鉄    20k      402k
   17日 嘉鉄近辺          5k      407k
   23日 嘉鉄〜屋鈍       35k      442k
8月18日 屋鈍〜横当島      70k      512k
   19日 横当島〜宝島      50k      562k
   25日 宝島〜小宝島      14k      576k
   26日 小宝島〜悪石島    38k      614k
9月 2日 悪石島〜諏訪之瀬島 23k      637k
    5日 諏訪之瀬島〜中之島 33k      670k
  18日 中之島〜口之島    20k      690k
2001年
8月 4日 口之島〜屋久島    70k      760k
    6日 栗生〜安房        30k      790k
    7日 安房引き返し安房   15k      805k
    8日 安房〜宮之浦      20k      825k
    9日 宮之浦〜永田      25k      850k
   12日 永田〜口永良部    28k      878k
  24日 口永良部〜硫黄島   45k      923k
9月16日 硫黄島〜竹島      15k      938k
   17日 竹島〜伊座敷      42k      980k
  18日 伊座敷〜まさかり海岸 43k     1023k
  19日 まさかり海岸〜磯海岸 30k     1053k
        所要日数              176日間
        航海日数               36日間
        総移動距離           約1053km

使用用品
■シーカヤック及び航海用品(年により変更しています。)
シーカヤック            ウォーターフィールドカヤックス           マリオン
パドル(メイン)           AT                            シーツーリング240cm
パドル(スペア)           Werner                          Camano 240cm
スプレースカート          SnapDragon                       Sea Touring Sprayskirt
PFD(救命胴衣)         Lotus                          RioGrande
GPS                Magellan                         GPS 315
■キャンプ用品
テント                三井物産スポーツ                   Marmot Zoom
タープ                SnowPeak                        PENTA&CruiseWing
ストーブ               SnowPeak                       ギガパワーWGストーブ
シュラフ               SnowPeak                       マイクロマミーR
ラジオ                SnowPeak                       フォーゲルガイド
■モバイル環境
モバイル              Docomo・NEC                      sigmarion・Mobile Gear330
通信方法              Docomo                         P502i
■その他
帽子                 クバガサ                        波照間島産
サングラス              三井物産スポーツ                   BRIKO STARTER polar
基本ウェア              三井物産スポーツ                   Marmot
食料・ドリンク            大塚製薬                        POCARISWEAT・ボンカレー
サプリメント              大塚製薬                        NatureMade
■「黒潮GPS」
冒険者が携帯するGPSと携帯電話を連動させた「位置発信モジュール」から基地局のサーバが定期的に位置情報の収集を行う。
基地局のサーバは、この位置情報と地図情報データベースより冒険者の軌跡を地図上にプロットし、その画像を生成。ホームページで公開するシステム。
2000年のシステム運用者 アルプス社
2001年のシステム運用者 長野高専 堀内研究室
機材提供、技術協力SPA社。



2000年6月17日
沖縄の空に南国の熱い太陽がよみがえってきた。
だが空にはまだ梅雨のどんよりとした雲が残ってる。
今日から私が育った鹿児島市の磯海岸までの長い外洋航海の始まりだ。
いやがうえにも気持ちは高まる。
今まで県外や海外の自然にばかり目を奪われて、自分の故郷をよく見ていなかった。
もちろん鹿児島や沖縄の旅をしたことはあるが、すべて陸の上からの旅だった。
黒潮に対する興味や、珊瑚の海を漕ぎたい、南西諸島を人力で島伝いに航海したい、そんな気持ちでこの航海を思い立った。
テラワークスの諸喜田さんと上運天君にサポートされ、1000km彼方の鹿児島を目指し漕ぎ出す。
リーフを抜け外洋に出ようとした時に、不規則な波を受け転覆する。
すぐにロールで起き上がるがサングラスを紛失する。
サングラスがないと非常に目が疲れ、白内障になる恐れもある。

沖縄沿岸は楽しいツーリングだった。
この地方のビール会社の青い旗を見つけると上陸し、ビールで渇きを潤しながら沖縄ソバを流し込む。
カラフルな水着でにぎわうビーチを見つけると、カヤックを乗りつける。
山原(やんばる)の深緑色を眺めながら北上する航海が続く。

6月23日
沖縄本島最北端の宜名真港より、鹿児島県最南端の与論島を目指し初の海峡横断。
緊張はしたが無難に漕ぎきる。
太平洋のうねりを右側から、東シナ海の波を左側に受けながら、自分がその間を漕いでいるのだと感激しながらの航海だった。

6月25日
沖永良部島までは平穏な航海だった。
遠くにイルカを眺め、初めて海亀に出会ったのも沖永良部島のすぐ近くの海域だ。

6月29日
伊仙町の鹿浦小学校の先生と生徒さんに迎えられ、徳之島上陸。
この海峡横断も平穏な航海だった。
徳之島では徳之島わいどわいどトライアスロン大会のレポーターを勤める。
私は第一回大会で優勝している懐かしい大会だ。
汗を流したコースを思い出しながらのレポートを行う。
台風にて初めての停滞となった。

7月8日
徳之島を出発、金見崎北部にある難所「トンバラ岩」近辺では、強い流れと高い波になかなか進まず苦労する。しかしなんとか奄美大島南部の与路島に到着することが出来た。
与路島では、与路小中学校の生徒さんや先生とシーカヤックに乗り、遊ぶ。

7月9日
台風4号が近づいてきていたが、長い距離ではないので加計呂麻島を目指す。
出発してしばらくすると激しい雨と霧が発生し、視界は数10メートルしか見えない。
GPSも調子が悪く、コンパスで航行する。
その時は横からのうねりと風のため岸壁に流されていたが、激しい雨音のため気がつかないでいた。
突然目の前に波が立ち上がり、それに持ち上げられるように転覆する。
すぐにロールで起き上がる。もし失敗し、その他の方法で乗船をしていたら間に合わず、珊瑚礁と断崖に打ち付けられていたところだった。

7月13日
加計呂麻島諸鈍より請島・与路島・江仁屋離とツーリングを楽しむ。
無人島でキャンプをおこない、鹿児島の自然の美しさと偉大さに感動しながら夜を明かす。

7月23日
奄美大島最後の寄港地である屋鈍に到着。次の目的地、60km先の無人島の横当島がはっきり見える。
しかし翌日から台風で停滞。
その後台風が次々と発生、そして3週間も行動できない日が続いてしまった。

8月18日・19日
やっと海上の状態が良くなり、今回の最大難所の一つ横当島までの海峡横断に漕ぎ出す。
天気は晴れているのだが、海上はガスが発生し、目的地の横当島はなかなか見えない。
出発して4時間ほど過ぎれば奄美大島も見えなくなった。
周りは海と雲と空しか見えない。怖くもあるが気分は最高だ。
コンパスとGSPの数字だけを頼りに進むこと9時間、やっと横当島が見えてきた。
そして出発から11時間半後、断崖に囲まれた横当島の、わずかなゴロタ石の海岸に上陸する。
一人での無人島キャンプは、航海中の過労も加わり、なかなか寝つかれなかった。
翌日、トカラ列島最南端の有人島宝島を目指す。
最初は快調に進んでいたが、だんだん後ろからの波が強くなり、カヤックの向きを不規則に変化させはじめる。
あと宝島まで数kmになった頃から海流に激しく流されはじめてしまう。
そして、とうとう宝島の東の岬まで流されてしまい、島を回り込んだ海流がぶつかり合う、不規則で激しい波が発生している地帯に入り込んでしまった。
しかも海流の流れが強く、いくら漕いでもだんだん宝島から離れて行く。
流されてしまえば、そこは太平洋だ。
「遭難!」「死ぬのか?」「救助を呼ぼうか?」と頭をよぎる。
冷静に状況を判断し、30分だけ全力で漕ぐことにする。それで駄目なら海上保安庁に救助を求めようと決意する。
必死に漕いでみると、わずかだが前進している。
「行ける。絶対に宝島に着いてやる!」
そして3時間ほど経った頃、やっと宝島の港に滑り込むことが出来た。
スロープに乗り上げるが、力を使い果たしてしまい、自力でカヤックから降りることすら出来ない。
無事に着いた安堵感からか涙が出てきた。
宝島では温泉に入り疲れを癒す。
この島はキャプテンキッドが宝を隠した島と言われているが、私は痕跡すら見つける事が出来なかった。
素晴らしい自然、それ自体が宝だと思う。

8月26日
38km向こう側に浮かぶ悪石島を目指す。
中ほどで黒潮本流が作り出す巨大な潮目(海流がぶつかり合い激しい波が立つ地帯)に入り込む。
しかも黒潮の流れと風の方向が逆で、波頭がカヤックの後ろから崩れてくる。
転覆させかねない波が襲い掛かるので、パドルを休めることが出来ない。
ポケットに入れたビスケットさえ食べることが出来ず、ただ漕ぐだけだ。少しでも漕ぐ力を緩めると、約5ノットの速さで太平洋に流されていく。
必死で漕ぎ、何とか悪石島のゆるい入り江に入り込み、たどり着くことが出来た。
この島で宝島に続き台風をやり過ごす。
やることがないので温泉三昧の時を過ごす。
悪石島は仮面神の「ボゼ」が有名だが、残念ながら時期を過ぎていて、仮面の残骸しか見ることは出来なかった。

9月2日
台風の影響がおさまり、やっと出発できる。
23km向こう側に浮かぶ諏訪之瀬島へ漕ぎ進む。
海底からそびえ上がる活火山御岳(799m)の南側に広がる、わずかな地域に、島民は暮らしている。
台風で延期になっていた夏祭りが行われていた。
手作りの小さな、だがとても心のこもった夏祭りだった。

9月5日
トカラ列島最大の島、中之島に渡る。
やはり黒潮本流に浮かぶ島なので、海峡横断は緊張する。
ほぼ真横に3〜5ノットの速度で黒潮が流れる。
その海峡を4ノットから5ノットのシーカヤックで北に漕ぎ進むためには、カヤックの舳先を30゜から45゜は西側に向けなければ進路を確保できない。
パワーとスタミナが絶対に必要だ。
中之島で2〜3日休んだあとに口之島に向かう予定だったが、台風のため2週間も停滞となる。
いい加減に苛立ち、気持ちも落ち込んでくる。

9月18日
やっと海上の状態が良くなったので、口之島への航海を行う。
しかし体調を崩しており、何度も食べた物を吐いてしまう。
ふらふらになりながらやっと口之島に到着。
しかし完全に体調を崩してしまった。
天候もしばらくは良くないようなので、いったん療養のため鹿児島に帰ることにする。

10月4日
季節風が向かい風の北寄りに変わっている。
今回はMBCの取材艇が伴走するので、状態は良くないが思い切って挑戦することにした。
早朝、口之島を出発。激しい波が打ち寄せる潮目を、たたき付けるようなパドリングで進む。
向かい風が強く、進路を確保するためには風が吹いてくる北西を向かなければならない。
しかも北西からは黒潮も流れてくる。
何とか進路を保とうとするが、どんどん太平洋の方向に流されて行く。
やはりこの季節の航海は無理なのだろうか。
結局10km進んだ所で中止する事にした。
その時点ですでに、5kmも太平洋に流されていた。
悔しいが今の私の力ではどうしようもない。

10月21日
カヤックの速度を増せば何とかなるのではと、ウォーターフィールドの水野さんへ無理なお願いをして、3人乗りのシーカヤック「グレートジャーニー」を制作してもらう。
クルーとして九里徳泰さんとウォーターフィールドの松本正樹さんが協力してくれることになった。
私を含め、北アメリカ北西部に広がるフィヨルド地帯、通称インサイドパッセージを全行程シーカヤックで走破した日本人はこの3人だけだ(2000年当時)。頼れるメンバーが揃った。
しかし、北西風が吹き出したトカラの海は荒れていた。
何とか出発したものの、ものすごい波が襲いかかる。
7m50cmもあるカヤックが上下に激しく揺すぶられる。
港を出てからわずか1kmほどでとても無理だと判断し、引き返す。
悔しいが今年はこれ以上の挑戦は無理だと判断する。
来年の新南風(にいばえ)の吹く夏を待つことにしよう。

2001年8月4日
台風で出発が遅れていたが、やっとチャンスがやってきた。
トカラ列島口之島から屋久島の栗生までの直線で60km、実質は70kmほどの航海になるだろう。
薄暗い口之島の港を出港、昨年よりは小さいが、それでも荒れた潮目を突き抜けて屋久島を目指す。
風は追い風、黒潮も後押ししてくれているようだ。速度も6ノット出ているときもある。
中間点を4時間ほどで通過、かなり早いペースだ。そして、昨年から長く苦しめられ続けてきた黒潮の影響下から抜けたようだ。
だが屋久島まで12kmほどのあたりから、ものすごい流れで南東方向の太平洋に流されはじめる。
屋久島南部には5ノットの潮流(潮の干満で出来る流れ)が発生するが、その流れにつかまってしまった。
何とか逃れようと漕ぐが、しょせん人力。ましてや7時間以上も漕ぎ続けた体ではどうしようもない流れだ。
4mを越える潮目(激しい波の地帯)に流されて行く。
このままでは力つきるのは時間の問題だ。思い切って潮目を突っ切り、その向こうにあるはずの反流を目指し漕ぎ抜けることにした。
昨年の荒波の中の航海を思出すが、私の操船技術が昨年よりかなり上達しているからか、恐怖は感じなかった。
40分ほど荒波と格闘し、ついに潮目地帯を乗り越えた。
栗生まで後4kmほどだが、完全に力を使い果たしていた。
数回パドルを漕いだだけで胸が苦しくなり、漕ぐことが出来ない。
何回休んだだろうか、やっと栗生の浜に上陸。
長くて、鬼門となっていた海峡を漕ぎきった。

8月12日
楽しかった屋久島沿岸のシーカヤック行の後、今年2回目の海峡横断である口永良部島を目指す。
向かい風が続くが、平穏な航海だ。だが北の海上では竜巻が発生していたようだ。
シーカヤックのすぐ横をカジキマグロが通っていった。
海亀は毎日かなりの数を見ていたが、まさかこんな近くでカジキマグロを見ることが出来るとは、とてもラッキーだ。
口永良部島でも歓迎を受け、温泉や海の幸で体と心を癒す。
だが、またまた台風のため停滞が続く。
いやになるが、どうしようもない。

8月24日
やっと台風の影響が去り、42km北にある硫黄島を目指す。
波は穏やかだが、北からの向かい風だ。パドルに力を込め硫黄島を目指す。
腕も上がらなくなり、腹筋もつりはじめた頃、やっと硫黄島に近づいてきた。
この島では三島小中学校の生徒と先生方をはじめ、島民の方々がアフリカの太鼓「ジャンベ」で出迎えてくれた。
疲れきっていたが、楽しいリズムと子供たちの踊りに励まされながら上陸する。
温泉に浸かり、生徒の前で講演を開いたりして楽しく過ごす。
この島の伝統芸能「八朔踊り」に使われる仮面「メンドン」の仮面作りも手伝った。
だが相次ぐ台風のため3週間も航海ができなくなる。
いいかげん、嫌になるが、どんなに焦ろうが苛立とうがどうしようもない。
やるべき事は、自分の体の状態を保つ事と、天候回復を待つことだ。

9月16日
今日も天気予報では出発出来ないかと思われていたが、朝早くから空を見ていると行動出来そうな状態だ。
岬に立ち海を見て、行けると判断。航海する事にした。
島民と別れを告げ、竹島を目指す。
港や岬では島民の方々が何時までも手を振り、見送ってくれる。
向かい風を力で押し進み、竹島に到着。この島でもたくさんの方々に出迎えていただいた。
三島村ではどこでも暖かい歓迎と交流をさせていただく。

9月17日
最後の海峡横断である佐多岬。そして伊座敷までの42kmの航海に出発する。
特に佐多岬近辺は難所として有名で、しかも今日は大潮だ。
佐多岬近辺を避けるように回り込み、更に潮が止まる時間に通過するよう時間の調整をした。
久しぶりの追い風にも助けられ、予定より早く伊座敷に到着。
本当に長い間夢見ていた本土上陸だ。港では佐多町役場の方々に出迎えていただいた。

9月19日
穏やかな錦江湾を北上。
午後3時、私が幼年期を過ごした鹿児島市磯海岸に、たくさんの友人たちに出迎えられ到着する。
昨年6月17日以来、約1年3ヶ月。距離1053kmにもおよぶ遠征が終了した。

協賛(五十音順)
アウトドアステーション
ウォーターフィールドカヤックス
大塚製薬株式会社
口永良部島貴舩様
株式会社スノーピーク
 セイカ食品株式会社
デナリ
テラワークス
三井物産スポーツ株式会社
株式会社山形屋
マリンステーション海楽園

後援(五十音順)
奄美大島観光物産協会
奄美群島水産振興協議会
伊仙町役場
大島新聞社
大根占町役場
沖縄タイムス社
鹿児島県カヌー協会
鹿児島県観光連盟
鹿児島市カヌー協会
鹿児島情報「じゃっど」
鹿屋市
上屋久町役場
喜界町役場
桜島町役場
佐多町役場
瀬戸内町役場
垂水市
知名町役場
那覇市観光課
南海日日新聞社
三島村役場
南日本新聞社
南日本放送(MBC)
屋久町役場
北谷町役場
与論町役場
琉球新報社
和泊町役場

協力(五十音順)
ID外語学院
ア−ルエイチプラス
鹿児島自然観察会
きょら
くすの木自然館
瀬戸内シーカヤッククラブ
フューチャーマジック

■特記
今回の遠征に関する放送が下記の日程で放映されました。
どーんと鹿児島「シーカヤック黒潮紀行〜The Black Current2000」(南日本放送2000年9月28日)
電撃黒潮隊「シーカヤック冒険記 沖縄〜鹿児島黒潮紀行」
       (南日本放送TBS系列九州・山口・沖縄2000年11月11日)
NTTドコモ九州PRESENTS「海を渡る旅人」(南日本放送2001年9月30日)

また、旅の報告として
「うねうねウイークエンド」(MBCラジオ2001年9月22日 15:00)
「アウトドアマスター」(鹿児島シティエフエム2001年9月25日 8:45)

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