クインシャーロット「トーテムポールを訪ねて」
かごしまカヤックス 野元尚巳
「ピ〜〜ィ」
遠くまでよく通る声を出しながら白頭ワシが頭上を飛びこえてゆく。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州クインシャーロットのモレスビーキャンプ。
ここからシーカヤックに荷物と食料、酒などを満載して一人で漕ぎ出す。自由な時間が始まる瞬間だ。
目的地は約200km南にあるアンソニーアイランド。ネイティブのハイダ族の言葉でGwaii Haanas(ロックフィシュの島。カサゴの島)。100年ほど前に欧米人が持ち込んだ天然痘などの病気で村が全滅した島だ。わずかに生き延びた人たちもその島を後にするしかなかった。
その後、彼らの遺産であるトーテムポールは欧米人が持ち出し博物館へ持ち込む。自然木で作られたトーテムポールは、いつかは朽ち果てて土に還る。その方がいつまでも保存できてたくさんに人が見ることができるからだ。
だがこの島の末裔はその事を選ばなかった。なぜならトーテムポールは先人のメモリアルポールであり、頂上部には死者を入れる棺があるポールもある。そのすべてが歴史や昔話を掘り込んだ伝承の記録だからだ。
我々の先祖の墓が珍しいからといって他の民族に持っていかれたらどのように思うだろう。
この島には昔のままのトーテムポールが朽ち果てるままに保護されている。
10年前にアラスカのジュノーからカナダのバンクーバーまでシーカヤックで約1800kmの旅をした。その時にトーテムポールの事やこの島の事を知る。いつかは行きたいと思っていた。
この島に行くにはゾディアックと呼ばれる高速のゴムボートか水上飛行機でローズハーバーまで行き、そこからカヤックで漕いで行く方法もある。だが出来る限り自分の力で行きたい。その方が同じ景色でも見え方が違うのだ。
カヤックでフィヨルドの中を静かに漕ぎ進む。ナローと呼ばれる狭くて流れの速い地域を抜け、巨大なヘカットストリートへと漕ぎ進む。
インサイドを抜けると波も高くなる。周りはすべて氷河が削って出来たフィヨルド。遠くには雪を被った山々が見える。最高の景観だ。
だがそれにしても寒い。
「何が温暖化だ!」
ついぼやいてしまう。
今年は特に夏が遅いようだ。バンクーバーの回りもまだ雪が残っていた。
風が強く漕いでいないと寒くて仕方がない。
初日目は岬の根元にある浜に上陸してテントを張る。森には苔むした倒木が重なり心を穏やかにしてくれる。だがここはブラックベアのエリア。彼らの生息地へ私が侵入しているのだ。気を抜けない。
2日目
強風の中を漕ぎ出す。
中間地にある温泉の島、ホットスプリングアイランドを目指す。
最初は快調だった。だが風と波がドンドン強くなる。低温、強風、低水温。気持ちを引き締める。小さなミスが取り返しのつかないことになるからだ。
時化だした海を漕いでいると周りでザトウクジラが見られるようになる。ここはクジラの海でもあるのだ。
何とか写真を撮ろうとするが雨も降りピントが合わない。やはり1眼レフカメラを持ち込むべきだった。
とんでもない強風が吹き出した。だがカヤックのコントロールは十分出来たので風と波を利用してどんどん進む。手は寒さでかじかむがもう行くしかない。
数時間後、ホットスプリングアイランドへ到着した。そこはフィヨルドの真ん中にある小さな島で適温の温泉が湧きだし、島一面が花畑で、そこをハミングバード(ハチドリ)が飛び交う夢のような島だった。
ハイダの女性に案内されてキャビンへ泊まりながら海外の温泉を満喫したのだ。
フィヨルドの真ん中にある温泉の島で一人かじかんだ身体を温めた。頭の上はハミングバードや白頭ワシが飛び回る。湯船から乗り出すと雪を被った山々が望め、穏やかな海が広がる。そしてその海には時々白い飛沫が上がる。ザトウクジラだ。なんて素晴らしい温泉だ。
湯から上がり、ハイダの女性から「ストーム(嵐)が来るからキャビンに泊まればいいよ」と勧められる。この島はキャンプ禁止で一般の宿泊は出来ないと思っていたのだが今日は可能のようだ。もちろん好意に甘える。
キャビンは多少隙間が気になるが、熊の心配もなく安心して休める。
穏やかでいい天気になってきた。ウェアを洗濯して乾す。どうやらカヤックを漕いでいた時にストームの直撃だったようだ。だからあれほど激しい強風が吹きすさんだのだ。
3日目
夜中にネズミに食料を齧られるアクシデントはあったが静かな睡眠を得られた。さあ今日は海中の生物が素晴らしいと聞くバーナビーナローを抜けるぞ。
日の出と共にホットスプリングアイランドを後にする。
快調に漕ぎ進む。時々、バシューと音と共にザトウクジラがブロー(呼吸)を繰り返す。よく見るとバブルネットフィーリングを行っている。見たかった捕食行為が目の前で展開している。
バブルネットフィーリングとは、ニシンや鰯などを捕食する為にクジラが口から空気を少しづつ出しながら獲物の周りを回りこみ泡のネットを作る。そしてその輪をだんだん小さくしてゆき最後は空へ向かい口を大きく開けながら食べる行為だ。
一番近いときにはカヤックの100mほどの場所で行っていた。すごいぞ!
そしてその行為の後、しばらくするとクジラが作り出した波がカヤックを揺らす。感激だ!
大きなジョンパーズサウンドからバーナビーストリートへ入り、そして幅が数十Mのバーナビーナローへと漕ぎ進む。だが期待していた海洋生物は満潮だったので少ししか見ることはできなかった。
大きなヘクターストリートに入ったとたん時化だした。高さが3mを越える波が襲い掛かる。漕げない波ではないが不規則な反射波なので疲れる。
目的としていたコリソンベイの海岸はサーフゾーンとなり上陸は危険だ。手前にあるイケダコーブに逃げ込む。
イケダコーブ(池田入江)はその名のとおり日本人の名前だ。移住した漁師の池田さんがこの入江の奥で銅鉱脈を発見して鉱山を開き、財を成した場所だ。
イケダコーブは先ほどの時化が嘘のように穏やかだった。
水が切れたので小さな川を見つけて浄水器を使い飲み水を作る。だがタンニンが含まれる川の水は高性能浄水器を使っても茶色のままだった。
4日目
昨日の時化が嘘のように穏やかになっていた。今日は難所とされる魔のベンジャミンポイントを越えてハンストンスチワートチャンネル入り込むぞ。
と、気合を入れたが魔のベンジャミンポイントは穏やかで昼寝も出来そうな凪の海だった。
ハンストンスチワートチャンネルに入り込むと更に穏やかだ。だが潮流は3ノットほどで流れている。
予定していたローズハーバーへの上陸は止めて、この流れに乗って目的の島、アンソニーアイランドに近づくことにした。
実に穏やかだ。時々2件あるローズハーバーの宿への客を運ぶと思われるフロートプレーンの爆音が響く。それが人の息吹を感じられて頼もしくもある。
キャンプ適地をチェックしながら進むがあまりに穏やかなこの天候が気になりだした。
穏やか過ぎる。またいつ天候が崩れるかは判らない。しかもアンソニーアイランドは外洋に浮かぶ孤島だ。天候が崩れると行けなくなるかもしれない。
心に嫌な予感が湧き出したのだ。こんな時には自分の心に従う事にしている。
アンソニーアイランドへは明日、じっくりと行くつもりだったが今日中に行ったほうがいいと判断する。
思い立ったらすぐに行動だ。パドルに力を込めて漕ぎ出す。
1時間後、憧れのアンソニーアイランドが目の前に浮かんできだした。「やっとここまで来たのだ」涙が流れてきた。
風が無く、追い潮にも助けられてアンソニーアイランドへ近づく。この状態なら簡単に上陸できるだろう。
だがそれほど甘くはない。右前方から強い風が吹き出し、波も高くなりだす。デッキはいつも波に洗われている。パワーで漕ぎ進むしかない。
それでも気持ちがどんどん昂るので力がみなぎる。どんどん島へと近づく。
数時間後、憧れのアンソニーアイランドへ到着した。
目的とした入り江に入り込み、海面に生い茂るケルプを掻き分けて漕ぎ進むと、写真や画像で何度も見たトーテムポールが姿を現してきた。
感動で声も出ない。
小さな砂浜の向こう側に何本ものトーテムポールが立ち並んでいる。これを見るために約200kmの海を漕いできたのだ。
「来たぞ!」
少し涙がにじんできた。
このままこの砂浜へ上陸したいが上陸ポイントが決められていて、それ以外では上陸することはできない。
いったん入り江を離れて島の北側に回りこむ。
上陸ポイントは小さなブイが海上に浮いているだけだ。そこから入り江に入り込むと砂浜があり、沖にはボートが浮かんでいた。他にもシーカヤックが2艇止められていた。
上陸して、上げ潮でカヤックが流されないようにロープで岩にくくりつける。作業を行っていると長靴を履いたモンゴロイドの顔をした男が近づいてきた。
「hello」
声をかけるが返事が無い。更に男が近づいてくる再び「hello」と声をかけるがまたまた返事が無い。私の目の前まで近づき手を差し出して「How do you do」をやっと口を開いてくれた。
彼はこの島の住人であったハイダ族でウオッチマン(島の管理や訪れる人の案内人)を行っている。
100年ほど前に白人が持ち込んだ天然痘でほぼ村は壊滅した。(わざと病原菌を持ち込んだとも言われている)
その後、トーテムポールはほとんどの村では切り倒されて博物館へと移動された。
もちろん永久保存のためだ。(中には白人が興味本位と自己満足の為に持ち帰った物もあるだろう)
だがこの島の末裔はその事を選ばなかった。トーテムポールは元来その地で朽ち果てる物。たとえ数十年後には無くなろうともこのままこの島に残す事を選択したのだ。
「まだ潮があがるから高い場所にロープをくくりなさい。そしてあの場所で待っていなさい」と指差す。
言われるとおりにシーカヤックを固定して指定された場所に向かう。彼の後から木道を歩いてゆく。
少し歩くと小さなキャビンがあり、そこに年配の女性が穏やかな笑顔で迎えてくれた。彼女がこのアンソニー島の中心となる語り部だ。
彼女の前に居るだけで安らかな気持ちになってゆく。
島のことなどを話してくれる。だが私は英語が苦手なので少ししかわからない。それを察して「あなたの心で感じるままでいいのよ」と言ってくれた。
男性のウオッチマンが案内してくれる。だが彼は私がまったく英語を理解できないと思ったらしく。身振り手振りに徹してまったく声を出さなくなった。苦手とは言えある程度は理解できるのですがぁ・・・
念願のトーテムポールとの対面だ。声が止まる。表現のしようがない。
今まで何回も星野道夫さんの写真やテレビの画像で見てきた。そして様々な文章で思いを寄せてきた。
だが違う!
どんな素晴らしい写真家が写そうが。どれほどの文学家が表現しようが無理だ。これは自分の目と身体、そして心で感じるしかない世界がある。
森の木々のおかげで風の音や波の音がまったく聞こえない。時々鳴く鳥の声がするだけだ。
目の前の、朽ち果てつつあるポールには草花が茂りだしている。
掘り込まれた模様や死者を入れていた切込みなども静かに何かを語りかけているように感じた。
ここまでの行程を自力で漕いできたからこそ感じることが出来る何かがある。
ゾデアック(エンジンの付いたゴムボート)や水上飛行機で来たとしてもここまで感じることは出来ないと思う。
これこそ私が求めている旅であり、この時間この空間が何にも変えがたい幸せと感じる世界だ。
アンソニーアイランドを出ると強風が吹き出した。
何とかローズアイランドに逃げ込み森にテントを張る。
しばらくすると4人のカヤッカーが上陸してきた。老夫婦もいる。
奥さんが寒さで震えながら「この島に私達も泊まっていいかしら」と話す。
「もちろんいいですよ。寒かったでしょう」と話しながら焚き火を起こしてあげた。
4人は2週間かけてここからモレスビーキャンプまで北上するとの事だ。色々と情報を交換する。
5日目
今日も天候は悪く漕ぎ出せない。結局2泊、閉じ込められた。
5人で一緒に食事をしたり、彼らにカヤックの漕ぎ方のレクチャーをして遊ぶ。
6日目
天候は回復した。彼らと別れて一人で北上を開始する。
この旅の当初の予定は、帰りはローズハーバーからゾデアック(エンジン付のゴムボート)でサンドスピットまで帰る予定だった。
だがこの時期はまだ人が少なくチャーターでないと出せない。金額は$1.250と言われた。
レートで考えるとチップや税などで15万円ほどになる。
そんな金出せないよ。
こうなれば自分の力で帰ろう。たかだか200km弱。その気になれば4日じゃないか。
金は無いが時間と体力がある。これは幸せな事だ。
まずはローズハーバーに行き、古い鯨の油を取るためのボイラーを見る。
このボイラーのある工場には戦前まで日本人が就労していた。
過酷な仕事をまじめにこなせるのは日本人だった。
だが戦争がすべてを変えた。カナダにとって日本は敵国。
敵国人である日本人は海岸から遠ざけて収容所へ抑留されたのだ。
その瞬間にここの歴史は終わった。
悲しく悲惨な事実だ。そして鯨に対するカナダ人と日本人の違いの場所でもある。
日本人は鯨の部位を余すところなく使う。だがカナダ人(白色人)は油だけを取り、それ以外は捨てていた。
ローズハーバーを後にして古い鉱山があったジェドウェイまで漕ぐ。
そして湾の中にある素晴らしい小島に上陸してテントを張る。
天候もいいし風も穏やかだ。素っ裸になり衣類と体を乾燥させる。
7日目
再びサージナローを抜けてホットスプリングアイランドへ向かう。
上陸して温泉へ向かう。ウオッチマンの女性に「もう行ってきたの?速ぁい!」と言われホット和む。
当初の目的は達成した。その達成感を感じつつ温泉に浸かり、クインシャーロットの海を眺める。
ああ!しあわせだぁ。
「今夜も泊まってゆく?」とウオッチマンの女性に聞かれたが「もう少し漕ぎたい」と言うと「それならウインディベイに行くといいよ」と言った。
ここから10kmぐらいか。よし行ってみよう。
温泉でのほほんとなっているが漕げない事はない。再びシーカヤックに乗り込み漕ぎ出す。
穏やかで鏡のような海を滑るように漕ぎ進み、1時間半ほどでウインディベイに入り込む。
さてどこにテントを張ろうかなと湾を進んでいると小屋が見えた。そこから男が出てきて手で招いている。
行くしかない。
近づくと上陸場所を指示してくれる。そしてハイダの模様の書かれたロングハウスに招いてくれて「ここに泊まるといいよ」と言ってくれる。
どうやらゲストハウスのようだ。
レッドシーダー(米杉)の巨大な木々に囲まれたゲストハウスは私にとってはどんな高級ホテルよりも素晴らしい宿だった。
しばらくするとハイダの老人がやってきて薪ストーブに火を入れてくれた。
「薪は小屋にある。水は外に手押しポンプがある。それを使え」と簡素に教えてくれた。
やかんでお湯を沸かし、ココアを入れて体を温める。
体も心も落ち着いたら彼らの小屋に行き少し話をする。
彼らもウッチマンとしてここウインディベイ(ハイダではHIK`yah)で管理と観光客に話をしているのだ。
私のことを知っていたのはホットスプリングアイランドの女性が無線機で「Japanese Speed kayaker」がそっちへ行ったよと交信していたようだ。
今後も彼らのネットワークで私は各地で歓迎される。
8日目
ウインディベイを後にして近くのタヌー(T`aanuu)へ向かう。
今日も穏やかだ。
途中の小島で小休止した後、タヌーに到着した。
浜辺にカヤックを引き上げてウオッチマンキャビンへ向かう。
ハイダの若い男女が笑顔で迎えてくれる。ノイメンとコリーだ。
ここには朽ち果てたトーテムポールとロングハウスがある。長い年月で土に還ろうとしているのだ。
他の観光客が帰った後で二人が歓迎してくれた。
今のキャビンの近くに新しいキャビンを作っている。そこに泊まればいいよと言ってくれた。旅の情けだ。
ノイメンがハリバット(おひょう。巨大なヒラメ)を釣りに行こうと誘ってくれた。
もちろん行くしかない。
ボートに乗り近くの海で彼が仕掛けていた延縄を引き上げる。最初は鮫が上がってきた。
そしてその次は巨大なオオカミ魚だ。
顔つきがいかにも獰猛で、こいつに噛みつかれたらたまらない。
そして長さが120cmぐらい。重さが50パウンド(約25kg)ほどのハリバットが上がってきた。
棍棒で頭を数回殴りつけ、腹と尾の付け根を切り血抜きを行う。ボートの縁に縛り付けて引き回すがなかなか死なない。
海岸に上陸するとコリーが笑顔で近づいてきた。
その後はもちろん下ろしてエンガワを刺身にして食べた。
夕食はノイメンがハリバット料理でご馳走をしてくれた。感謝だ。
彼らとゆったりと夜を過ごす。お湯を入れたバケツシャワーで汗を流しキャビンに向かう。
するとコリーがマットをひいてくれていた。
しかも暖炉には薪がすぐに着火できるように紙、小枝、そして横には薪を置いていてくれる。マッチもきれいに並べてあり枕元にはロウソクも置いてくれていた。
コリーありがとう。
彼らの気持ちを感じながら暖炉の暖かさに包まれ眠りについた。
9日目
タヌー(Tanu)を後にする。
ノイメンとコリーはまだ眠っているので彼らのキャビンに頭を下げカヤックに乗り込む。
静かな海をすべるように進み、スケダンス(Skedans)を目指す。カヤックには二人が持たせてくれたサーモンの燻製とスケダンスのウオッチマンへ届けるハリバットの切り身を積んでいる。カヤックデリバリーだ。
穏やかな海を漕ぎ進む。遠くからザトウクジラのブシュ―と言う呼吸音とハクトウワシのピーとよく響く泣き声が海上に響いてくる。
モレスビーアイランドの豊かな森が育てている命だ。
そして生かされている一つの命として我々人間もいる。
自然と一体化を感じる時間だ。
ほどなくスケダンスに到着した。
トンボロ地形にできたスケダンスの集落跡は海からトーテムポールが見える。
強風の影響だろうどれも同じ方向に傾いている。
南側の海岸に上陸し、カヤックを安全な場所まで引き上げ、更に大きな流木へ括りつける。ウオッチマンのキャビンを訪ねるとガリとジェームズが笑顔で迎えてくれた。
「これを届けにきたよ」とハリバットを手渡すと「ありがとう。ともかくお茶でも飲んでよ。今夜は泊まるよね。そこのキャビンを使ってね」とガリが言ってくれる。
またハイダの仲間ができた。
スケダンスには完全な形のポールは少ない。数十年前に切り倒して博物館や古物商に売られた。今、残るポールはそのころでも完全な形をしていなかったものだ。
だが朽ち果てたりしても、倒れたポールでも静かに何かを語りかけるような気がする。
今は両側を海に囲まれ風が通り抜ける地で静かに朽ち果てるのを待っている。
しばらくするとゾデアックに乗った観光客がやってきた。
ガイドはカヤックをレンタルしたモレスビーEXPの女性ガイドだ。私の顔を見ると「もう帰ってきたの。早いわね。アンソニー島はどうだった?」と話しかけてきた。
参加者は世界中からツアーで近辺の集落跡を巡っている。
海岸で昼食を終えた参加者にガリが写真集を一人一人に配りポールの案内を始めた。
私も混ぜて案内をしてもらう。
一つ一つのポールの前で写真集を教科書に歴史やポールに掘り込まれた模様の説明を話してくれる。
ポールに手を触れることはできないが柵などはない。足元に白い貝殻を敷いてラインを引き境界としていた。
ガリが時々遠い世界に入り先祖と会話を交わしているような気がした。
数時間の滞在の後、観光客はゾデアックで次の集落へと去っていった。
後はハイダの二人と私以外の人間はいない。
静寂の世界が再び訪れた。
キャビンでお茶を飲みガリの手作りのお菓子をいただく。彼女はお菓子作りが楽しみだとレシピ集を見せてくれた。
ジェームズは料理担当だ。タヌーでもそうだったがどうやら男性が料理担当のようだ。
ガリが「グラスカットに行くからね」と立ち上がった。
何をするのかわからないが私も行っていいか?と聞くと「もちろんOKだよ」と言う。
ウェアを着込んで外へ出る。手には大型の鋏。ジェームズは草刈機を担いでいた。
ジェームズはポール周辺の草を刈り取る。ガリと私はポールに生え出している草を手で刈り取る作業だ。
何も手入れをしないとポールは草に覆われてしまい消えてしまう。
ポールは墓標なので墓守でもある。また見に来る人のためにも草はないほうがいい。
ポールは環境客には触らせない。それは当たり前のことだ。
このような形で私には触させてくれたことはとても大きなプレゼントだった。
遺体を入れる掘り込みも壊さないように気をつけて刈り取る。
周辺に落ちている。それらは枯れ枝とは明らかに質感が違う。小さなものはポールの下部に隠すように置く。大きなものは見えるように展示する。
だがこれらの破片も数年後には土へと帰るだろう。
これらの作業を続けながら自分の心が穏やかになってゆくのを感じていた。
夕方になり風が強くなりだし海上では白波が立ちだした。
補給船がやって来ると言う。空になったボトルやBOX、プロパンガスボンベ、ごみなどを海岸へ運ぶ。しばらくするとタグボートを引いた船がやってきた。ウオッチマンサイトを2週に一度、巡りながら食料や水、燃料。そして手紙などを運んでくる。
海岸の沖に停泊する。アルミボートの荷物を載せたガリとジェイムズがタグボートに横付けして空BOXなどを投げ入れる。次は船に横付けして食材やプロパンガスボンベなどを積み込むと引き返してきた。
補給線は次のウオッチマンサイトのタヌーに向かっていった。エンジン音が去り静寂が戻ってきた。
3人で海岸から荷物をキャビンに入れ込む。
一通り荷物を棚や冷蔵庫に入れ終わると二人は手紙を読み出した。
笑顔や寂しげな顔が交錯する。彼らは約5ヶ月もここで過ごすのだ。
明後日はジェームズの父親がやってくるらしい。はにかみやの彼が嬉しそうに話してくれた。
夕食はジェームズがハリバットを使った野菜たっぷりの炒め物をご馳走してくれる。
今夜もキャビンで暖炉の火に暖められながら安らかな眠りを得られた。
10日目
早朝、二人がまだ眠っているキャビンに頭を下げてから漕ぎ出す。
海上は穏やかだ。だが午前10時を過ぎると風が強くなり白波も立ち始めた。
さっさとサンドスピットへ行こう。
スピットとは潮流や海流で長い岬状に砂浜が海へと伸びている地形だ。
陸からの眺めはいいが波が立ちやすく吹きさらしになるので苦労する。
なんとかサンドスピット空港の沿岸を回りこんで上陸した。
短くも中身の濃い旅が終わった。
ありがとうクインシャーロット。また来るからね。
今回の旅で使った用具
テント アライテント社製 エアライズ1
http://www.arai-tent.co.jp/lineup/tent/air2.html
マット Thermarest社製 PROLITE3™ (輸入元モチズキ)
http://www.e-mot.co.jp/thermarest/fast.html
シュラフ(寝袋) モンベル社製 U.L.スーパーストレッチ ダウンハガー#3 ( 品番 #1121728 )
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1121728
バーナー MSR社製 ドラゴンフライ (輸入元モチズキ)
http://www.e-mot.co.jp/msr/stoves.html
コッフェル(鍋) MSR社製 BLACKLITE™ クラシッククックセット(輸入元モチズキ)
http://www.e-mot.co.jp/msr/cookware.html
ウェア ファイントラック社製 フラッドラッシュ #FWM0101 \8,715
http://www.finetrack.com/product/product_floodrush.html
デジカメ OLYMPUS μ1030SW
http://olympus-imaging.jp/product/compact/mju1030sw/index.html